ふゆの音




 ラトの住む村にフユが越してきたのは、ある秋の日のことでした。山奥の村でした から、村はずれに引っ越してきたという家族のうわさは瞬く間に村に広まりました。 一家のお父さんとお母さんは、薬師をしていて村では喜ばれました。けれど、娘の フユはなかなか外に出てこないで一日中家にこもっていました。だから、ラトはフユ のことは冬になるまであまり知りませんでした。村はずれに女の子が引っ越してき たらしい、と友達から聞いてそれっきりだったのです。
 ラトはお母さんのいいつけで、その日、その村はずれの家へ届け物をしにいきまし た。
雪が積もり始めていた、冬の始まりの日でした。
 ラトが家に近づくと、見慣れない女の子が、壁にはりついてじっとしています。
「なに、してるの・・・?」
「わっ」
 不思議に思って、ラトが声をかけると女の子は飛び上がりました。
「しーっ。静かにして。みつかっちゃう」
 女の子は人差し指を唇にあてて、ラトにしかめっつらをしてみせました。とてもかわ いい、リンゴのほっぺの女の子です。
「誰に?」
「おとうさんと、おかあさんに決まってるでしょう」
 ラトが尋ねると、女の子が答えます。
「なんで父さんと母さんから、隠れてるのさ」
「抜け出してきたの」
 そう言うと、女の子は突然振り向いて、ラトの手を取りました。びっくりするほど冷 たい手です。
「ねえ、こっちへ来て」
 山の方向にラトを引っ張っていきます。仕事でよく山に登るラトは、山に入るのは 平気でしたが、女の子に腕を引っ張られるのは嫌でした。腕を離すと、女の子はち ょっとびっくりしたように振り返って、言いました。
「ついてきて」
女の子はぐんぐん、山の中に入ってきます。引っ越してきたばかりの子が、この山 の怖さを知るわけがありません。一人では危ないので、ラトは仕方なくついていくこ とにしました。
そのとき、女の子がまた振り向きました。
「あたしね、フユっていうの」 
「僕はラト。ねえ、フユ、危ないから戻ったほうがいいよ」
 ラトは立ち止まって声をかけます。でも、フユは立ち止まりません。
「大丈夫よ。それよりも、見つかっちゃダメなんだから。ラト、こっちよ」
にこにこと手を振ってみせ、フユが言います。フユは小さな洞穴、口の穴があるほう を指差しました。ラトはひそかにあの洞窟、山の口で、いつか飲み込まれるのでは ないかと思っていたので、あまり近づきたくありませんでした。でもやっぱりフユが進 んでいくので、仕方なく後を追いました。
「なんで、この穴のこと知ってるのさ? 村の人もあんまり知らないんだぞ」
 よそ者が自分よりこの山を知っているとも思えません。
「知ってるんじゃないわ。教えてくれるからよ」
 フユがきょとんとして答えます。
「誰が?」
「雪よ」
「雪?」
「そう、雪よ」
 ラトには何のことだかさっぱりわかりませんでした。
 フユはにっこりと微笑んで、ラトの右手をそっと取りました。やっぱり冷たくて、ラト は思わず引っ込めようとしましたが、フユに気の毒だと思ったので、我慢しました。
「あたしね、雪の声が聞こえるの」
フユがラトの右手を自分の耳に当てます。
「雪の音が、ずぅっと耳の中でしているの」
「どんな・・・おと?」
  「しんしん、て降るのよ」
「そんなことくらい、皆知ってるよ」
 ラトはそう答えたのに、フユは得意げにラトを見つめました。
「じゃあね、あんたのお母さん、チィコさんっていうでしょう」
「そうだけど」
 今度はラトが見つめ返す番です。ラトには、なぜフユがチィコさんの名前を知ってい るのか不思議でした。村の人には「雪花取りのお嫁さん」としか呼ばれていなかった からです。
「雪が、あんたのお母さんのことよく知ってるのよ。お母さん、雪の花を取っているのね」
 確かに、雪の降る日にだけ、雪と山が人に与えてくれる雪の花というものがこの里 にはありました。それを集めて山下の里に売るのが、ラトの家の仕事なのです。ラトは お母さんのチィコさんと山に登って、雪の花を毎日集めていました。今日は雪やみの 日だから山に登っても、花が無いのです。
「雪の便りってあたしは呼んでるんだけど、雪がいろいろと教えてくれるのよ」
 フユはにっこり笑って見せました。ラトはただただびっくりしてフユを見つめました。
「すごいや」
「ほんとうに?」
 フユの顔がぱっと一段明るくなります。けれどラトには、一瞬で、フユの顔が曇った ようにみえました。
「お父さんとお母さんは、良くないって言って、治療をしようとしてるの」
 気のせいではなく、フユはだんだん悲しそうな顔になってゆきます。
「あっ。だから抜け出したんだ」
「音の聞こえるひとはこの村にもいないのね。あたし、ここならいるんだって思ってた」
「雪の里だから?」
そう、とフユは頷きました。
「父さんは、雪の中にいると逆に聞こえなくなるかもしれないって思ったみたい。だ からここに越してきたのよ」
 言ってから、フユが悲しそうに俯いて、目をぱちり、と瞬きました。
「ねえ、ここではあたしにも、雪の音は聞こえてない事にしてくれない?」
 そうすればここで暮らせるのだ、と、フユが言うので、ラトは頷きました。
「なあ、だったら代わりにもっと雪の声のこと、教えてよ。僕は山の事ならなんでも 教えるからさ」
 何とか元気づけようとラトは言いました。
 こうして二人は、何度も会っては、沢山話をするようになりました。フユはこっそり 抜け出して、ラトは雪やみの日にはかならず会い来るのです。フユは雪の教えてく れた遠くの事も沢山知っていました。ラトは雪道を歩くコツや、風邪を引いたときに 作る雪の花の薬について教えました。
 でも、フユはあんまり自分のことを話してくれず、雪の話ばかりするので、ラトは仕 事の日、チィコさんにフユの事を聞いてみました。
「村はずれの家、女の子がいるんだね」
「そうなのよ。ご病気なんですって。だから、あのお家の周りであんまりうるさくして はダメよ」
「うん。わかってる」
 ラトは雪の花を摘みに、チィコさんとは別の道に踏み込んでいきました。
「あっちの方のをとってくるよ」
 ラトはざくざく雪を踏みながら考えます。
(雪の音のこと、フユの父さんと母さんは病気だと思ってるんだ)
 ラトの来ない日には、暗い部屋の隅っこでじっとしているのだろうと思うと、ラトには フユがなんだか気の毒になってくるのでした。ラトはフユのためにも、さっさと雪の花 を摘み終えて帰る事にしました。たくさん花が雪の合間からのぞいていましたが、 まだ小さな蕾ばかりでしたので、さっさと摘み終えてチィコさんのいるところに 戻りました。
 ところが、戻ってみてもさっきのあたりにチィコさんはいませんでした。
「母さん?」
 あたりを良く見てみますが、チィコさんらしい人影はありません。
「母さん!」
雪が静かに降り続けていて、よく見えませんでしたし、呼びかけても、声すら雪に 吸い込まれてゆきます。
「母さん! どこなの?」
 ラトは探しましたが、チィコさんは見つかりませんでした。ラトはすぐに村に引き返 して、この事を告げました。村の人たちは、村の中で行方不明の人が出た時、いつ もするように、すぐに隊を組んで、探しに出かけてくれました。ラトもいっしょに行くと 言いましたが、大人たちは子供であるラトを相手にしてくれませんでした。
(僕のほうが山には詳しいのに・・・)
 ラトは、居ても立ってもいられず、みつからないようにこっそりと山に登りました。し かしやはり雪で何も見えず、あまり大きな声も出せず、チィコさんは見つかりそうにあ りませんでした。ラトは、雪の中で立ち尽くしました。空は曇って、雪がごうごうと 舞っています。
 フユの声が聞こえたのは、ちょうどその時でした。
「ラト、やっぱりいた」
 ラトはフユの声に振り向きました。
「もう村は大騒ぎよ、チィコさんがいなくなったって。ラト、大丈夫?」
「フユ、どうしてここに?」
 ラトは聞かれて、泣きそうなのをごまかして、そう言いました。
「雪が言ったの。ラトはここだって。ラトが動いていたらどうしようかと思った」
 それを聞いたとたん、ラトは突然フユの肩を掴んで叫びました。
「そうだっ、フユ、雪の声を聞いてよ! 母さんはどこにいるんだ?」
 フユは困った顔をしていました。ラトはだんだんそんなフユに腹が立ってきました。
「ラトも知ってるでしょ。あたしの知りたい事と雪が伝えてくる事は関係ないのよ」
「でも、母さんは今、死にそうかも知れないんだぞ!」
 ラトが叫びます。フユを困らせているのは知っていましたが、我慢が出来ません でした。
「こんなときに聞こえないなんてフユの役立たず・・・!」
 フユはなきそうな顔をしましたが、突然手を振り上げると、ラトの頬をたたきました。
「じゃあ、ずっとそうしてれば」フユの息は白く舞い上がります。「そんな事しててもあ んたのお母さんはいつまでたっても見つからないけどね!」
 フユは、肩を怒らせて雪の中を掻き分けて山の上のほうへいってしまいました。
 ラトはその場に立って、ひたすら泣きました。声がかれるまで泣きました。
 どれくらいそうしていたでしょうか、ラトは突然、あたりが吹雪になって来ていることに 気がつきました。慌てて村に戻ると、今度はフユも居なくなったと、村は大騒ぎでした。 フユのお父さんが、心配して涙ぐんでいます。ラトははっとしました。
(あのあと、フユは僕の母さんを探してそのまま・・・)
 ラトは慌てて駆け出しました。村を出て山道を駆けてゆきます。吹雪の日はラト村の 人も山には立ち入り禁止でした。初めて入った吹雪の山は知らない人のようにラトに 冷たく道を閉ざしました。
(僕のせいだ・・・! フユ、どこにいるの・・・)
 ラトは自分にも雪の音が聞こえたらいいのに、と強く思いました。けれどラトには何も 聞こえません。チィコさんも、フユもいなくて、雪も、山さえも他人のようで、ラトはひと りぼっちでした。
 ラトは走り続けました。

 吹雪はラトの暖かさをどんどん奪ってゆきます。歯がガチガチとなりました。母さんは、 そしてフユは、どうしているのでしょう。ずいぶん走って、ラトは自分がどこにいるのか、 わからなくなりました。雪の上に覗いた岩に躓いて、ばたり、と雪の中に倒れます。
 必死で起き上がろうとしたとき、ラトの耳に音が聞こえました。しんしん、と降り注ぐ雪 の音でした。こんなに強く吹いている風の音に負けずに、雪は静かな音を立ててラトの 上に降り注ぎました。
(ああ。これがフユの世界の音なんだ・・・)
 ラトはその時、気がつきました。フユはきっとあの山の口にいるに違いありません。 パチパチと薪の音が聞こえた気がしました。
ラトは慌てて立ち上がろうとしましたが、うまく力が入りません。、すると、ラトは右 手に暖かさを感じたような気がました。ラトはうっすらと目を開けました。目をこらして よく見つめると、右のほうに、ぽっかりとあいている洞窟が見えてきました。ぼやけた 輪郭がハッキリしてきて、ラトはそれが口の穴であることに気がつきました。ラトは、 口の穴の前で眠っていたのです。ひょっとしたら、雪が連れてきてくれたのかもしれ ません。けれどもラトには感じられました。これは山のおかげなのでしょう。
ラトはなんとか力を振り絞って、立ち上がって山の口に入っていきました。洞窟の中 はフユの焚いた焚き火でほんのりと暖かくなっています。
「ラト? どうして?」
 口のなかにはやはりフユがいて、焚き火の前に小さくなって座っていました。ラトは 近づいて、火の中に、持ってきた薪くずを足して、座りました。
「フユのお父さん、心配してた。吹雪がやんだら、帰ろう。もうすぐだ」
 その後、しばらく沈黙が支配しました。吹雪のうなり声だけが響いています。フユは 決心したかのようにラトに話しかけました。
「チィコさんはみつかった?」
「ううん・・・村で、フユがいないって聞いてすぐ探しに出たから、僕にもよくわからない けど」
「ごめんなさい。すぐ帰りたかったんだけど、雪が突然強くなるんだもの・・・」
「わかってるよ」
「でもラトが教えてくれてたおかげで、ちゃあんと火打石も持っていたから、火が焚け たのよ」
「そっか」
「ありがとう、ラト」ここでフユは言葉を切って、雪を見つめました。「あたしの耳も、聞き たいときに、聞きたい事が聞ければ役に立つのにね」
 ラトはなんと答えていいのか、わかりませんでした。
けれどちょうどその時、口の穴が、ごご、と振動しました。
 ラトはフユを慌てて支えて、辺りを見まします。外の雪の様子は変わらないのに、ラト たちいる穴だけが振動を続けているようにしか見えませんでした。
山の、子よ
口が、もぐもぐと動きます。
雪の子よ
(お前は、ひょっとして、山?)
 ラトは心の中で聞き返しました。
うぅぅむぅ・・・
返事はくぐもってよく聞こえませんでしたが、ラトにはわかりました。けれど洞窟のゆれは それっきり収まってしまいました。さっきのことが嘘かのように、山はしん、とまた黙ってし まいました。ラトはじっと洞窟の奥を見つめました。そのときです、フユが突然、ラトの着物 の袖をぐいと引っ張りました。
「ラト、聞こえる・・・! チィコさん、見つかったよ・・・」
 山は、大切な子供であるラトに、大切なものを返してくれました。

 チィコさんは、ラトとはぐれたのとはそう遠くない場所で雪の中に埋まっていました。村の 人たちが掘り起こしたときには、とても冷たかったけれど、チィコさんは懐の雪の花のおか げで無事でした。結局、チィコさんはしばらく寝込むことになったけれど、春には元気にな るだろうとお医者さまはおっしゃいました。
 けれど、フユは、また引っ越すことになりました。チィコさんを見つけるために大人たちに 雪の教えてくれたことを告げたので、お父さんたちに声が聞こえる事がばれてしまったの です。治療のため、また別の町に行くのだそうです。今度は都会だ、とフユは笑って言い ました。
「また、チィコさんが良くなるころには帰ってくるわ」
「できるの?」
「わからないけど、他の季節は治療に関係ないもの。お父さんたちに頼んでみる」
「うん」
「そしたら、うんと都会でおしゃれになって戻ってくるんだから、ラトにはあたしがわかんな いかもよ」
「そんなことないよ」
「どうしてわかるのよ」
フユが頬を膨らませます。ラトはちらっと笑ってみせました。フユも、ちょっとだけ、笑いまし た。
「じゃあ、またね」
「うん」
 そうしてフユは再び越していきました。やっぱり雪の降る日でした。しんしん、と音がします。 あの日以来、ラトにはもう雪の音も感じられないし、山もラトに語りかけてきたりはしませんで した。ラトにはわかっていました。あれは、フユがいてくれたからこそ起きたことなのです。ラト は、結局別れの日も言えなかった、フユへのお礼とごめんなさいの気持ちを、長い長い冬が 終わるまで、ずっと雪の中でつぶやきました。雪の便りに乗せて、いつか遠いところにいるフ ユに届くように。


おわり


あとがき*********************************
文芸部に別れを告げるために書いたもの。
少年少女が成長する話がだいすきです。
読んでくださって 有難う御座いました。
カゲ
************************************