ひとつの道からはじまる WebsiteTop




 時は大陸暦一八九〇年代――かなと思う。
 わたしが住むのは、西大陸の西部にある小王国の片隅にある商業都市でなにもないところだけれど、すごく気に入ってる街。
 その都市はそれまで道という《道》は舗装されていなかったが先代国王の御世から国内の工業施策に力を入れて、ある工業都市とある貿易都市をつなぐ《街》ができた――それがこの街の発達のきっかけだったと学校で習った。
そこには、人々が通る町と町の間の一本の道がつくられた。
サーリャの町からルーレンの町までの長くはないが、短いわけでもない一本の道――先代国王が亡くなって五十年経つが道として栄えているらしい。

ひとつの道からはじまる


 わたしは、毎朝太陽が山の端から昇った頃その道を通って、仕事へ出かける。
 そして、太陽が完全に沈み行く頃にその道を通ってサーリャの町の自宅まで戻っている。
 たかが一本道だけれども、盗賊も魔物も出ることはない、州政府によって舗装された道なので安全だけれども、わたしはなんとなく怖かったのだ。

 そのきっかけは――。
 十年前に母と父を亡くしてから、ずっとひとりでこの道を往復しているのが怖かった。
 (……そう、あれは、ちょうど十年前の今日だったわ…)
 十年前――十五歳だったあの日――、わたしが、まだルーエンの町まで仕事ではなく、学校へ行って、サーリャの町へ帰って来た時に――。


 *  *  *


――最初に見たのは、鮮やかな赤が飛び散った家の中だった。

 ただいま、といういつもの返事を言葉に紡ぎ出すのも忘れて、ただ凝視し続けていた。
 赤い血の中にうずくまるように倒れているのは、最愛のだった父と母…。

 『ママ…? パパ…!』
 やっとしぼり出せた声とともに、自分の頬を冷たく伝うものがあることに気づいた。
 涙が彼女の顔を覆い尽くすように流され、いつのまにか床板の血を滲ませていた。



 『野生の熊が、突然凶暴化して襲ったんですって』
 それが、その大惨事から数日後に、わたしが聞いた周辺住民から聞いた事の顛末だった。
 『マルガちゃんの帰りを待っていて扉の鍵を開けたままにしておいたんだからホント災難な話よね』
 『その時に限ってご主人も早めに仕事から帰ってマルガちゃんを待ってたんでしょ』

 そういえば、とわたしは思い返していた。
 あの悲惨な情景の奥にひそやかに存在していたものはなんだったのだろう――と。
 焼かれて黄金に輝く七面鳥のお肉と、きれいに緑と赤の調和がとれたサラダたちが包みのなかで今か今かと出番待ちをしていた。その奥には焼かれた大きなバースデーケーキ――。


 ああ、とわたしは父と母がどんな想いでわたしを待っていたのかと愛の深さを思い知らされた。

――そう、十年前、十五回目の誕生日にわたしは母と父を亡くして天涯孤独の身となったという罰を得た――


 サーリャとルーレンをつなぐ道から眺める空はいつもと変わらない――それはわたしにとって罪と罰の意識を重くさせているのかもしれない。

 あれからずっと、《愛情》というものが怖かったのだ。
 それまでは父と母の愛情が弟に注がれていた分、自分が父からも母からも愛されてないって思っていたから――その病弱な弟が十五年前に病気で亡くなってからもずっと。
それでも弟が亡くなってからの五年間はすごく幸せだった。

 それは、母と父が帰りを待ってくれたから不思議と怖くはなかったのだ。

 なぜかはずっとわからなかった。けれども――生きてる限り仕事に行く道は続くと思ったから。

 その日も朝からルーレンの町まで仕事に出かけて、太陽が沈んでから帰る途中に――はじまったのだ。


 *  *  *


 (……ママはどこ行ったの?)
 あたしは叫び続けた。最初は喉を通して生きる世界に声を発していたのだ。
 そのうち、声が疲れ始めてからは心の中でずっと叫び続けている。

――おまえの母親はとんだ浮気者だよ

 そう言ったのは誰だったのだろう…?
 しかし、次に見たのは、その言葉と横たわる《ママ》の姿。

 その光景を見た瞬間は何もわからなかった。ただ漠然と思う。
 (……ママはどこ行ったの?)
 いつの間にか、父親を名乗った男も消えていた…赤く染まった《ママ》の隣に寝ている。
 よく考えてみればママは、ママだけどママじゃなかったかもしれない。いつもあたしをみて嫌な顔をして、「近寄らないで!」と言って…。

 挙句の果てには、 「あんたなんか生まなければよかった――!」

 とても怖い顔で、そして後悔した顔で。
 あたしは何を思ったかそばにあった松明の火を床に転がした――。
 「 アタシ ヲ ウマナケレバ ヨカッタ 」
 その言葉が頭の中で呪いのように反芻しながら、歩き続ける。

 (あぁ…そっかぁ…ママはもう――)

 悲しいのか嬉しいのかわからないけどただ少女は泣き、叫び続けた――。

 ママはあたしのママじゃなかったの。
 あたしの本当のママは、きっとどこかにいる。
 そう、罪を犯して処刑されたあとに涙を流してくれるママが、きっと。
 探しに行こう――ママに会いに行こう。

――どれくらいたったのかな――

 「何してるんだい?」

 あたしは声をかけられ…ハッとして空を仰いだ。
 目が大きく見開かれた。そこにいたのは、探していた人の顔にそっくりだったのだ。
 「ママ……っ?」

  *  *  *

 帰り道、出会ったのだ――罪の浄化ともなる少女に。

 「何してるんだい?」

 たぶん、彼女に声をかけたのは特に理由なんかなかったのだと思う。
ただこの、夜も更けたサーリャの町へ帰る道の途中でわたしより幼い少女が声を押し殺して泣いていたからだ。
 たんなる偶然にすぎない――わたしより前にこの少女に誰かが話しかけていればわたしが声をかけることは絶対にないだろう、という程度の偶然にすぎなかった。
 その日もいつものように仕事を終えて夕食の買い物をしてからただ帰る、それだけの生活の一部を行おうとしていだけだから。

 何故だろう…と自分でもおかしく思うくらいだ。微かに笑いがこみあげてくる。
 答えはひとつだ。
 (髪の色も、性別すら違うのにね…)
 目の前で見つめ返す少女の髪は、闇夜と同化するような濃い青灰色だ。わたしの、頬をかすめる赤茶が混じる金髪を手で軽く抑えながら、わたしは苦笑いを浮かべた。


 おそらく押し殺して泣く姿が、幼くして死んだ弟に似ているのだと。


 そう思うことで彼女に声かけた理由を作ろうとした。
 したかったのだと。

 「ママじゃないよ…似てるかい?あなたのママに?」
 少女は、わたしの問いにこくりと頷いた。

 「きみのママはどこにいるんだい?」
 「……《ママ》はあたしが処刑されたあとに涙を流してくれるの」

 「えっ?」
 わたしは青い瞳をわずかに見開く。なにを言っているのだろう、この子は? 
 「わたしが泣いてくれると思ったかい?」
 少女の髪と同じ色の瞳が微かに揺らぐ。わたしはそういえば、どんな表情でこの子と話していただろうか?

 (もしかして、この子をすごく不安にさせているのかな?)
 軽く首を振って、つとめて私は優しく微笑みかけてみた。
 「ああ、だいじょうぶだよ…お姉ちゃんね、あなたをママのところまで連れて行ってあげたいの。ここにひとりは危ないからね…すごーくこわーい魔物に食べられちゃうよ」
 少女はぶんぶんと大きく首を振って言葉を紡いだ。
 「……ママはお姉ちゃんだよ?」
 少女の言葉にわたしは思わず、え?と目を瞬かせた。


 「お姉ちゃんの罰とあたしの罪を浄化したいの」
 少女は、一生懸命に難しい言葉を紡ぎ続けた。顔を上げてわたしの目をまっすぐ見るその視線はとても正直だ。嘘じゃない。

 「お姉ちゃんのそばで笑っていたい。そしたらお姉ちゃんも笑ってくれる?」
 わたしは、はっと虚をつかれた。なんということだろう、こんな幼き少女に自分が無理に笑っていることに気づかされるとは。

 「お姉ちゃんと一緒に行くかい?」
 少女はじっとわたしの方を見つめていたがややあってからこくり、と静かに頷く。
 「じゃあ、行こう」

 その時のわたしの表情を、数年後美しく成長した少女が思い出してこう語っている――『 あの時手を差し伸べてくれたお姉ちゃんはやっぱりあたしのママだったよ――あたしの罪を浄化してくれるママだった。すっごく優しく幸せそうな笑顔で』と。


 薄暗い一本の道で手をつなぎながら歌いながら歩く二人の姿は、はたから見たらどんな感じだろう――罪と罰の浄化による聖母子だなんて思うかなあ。

 見れば、サーリャの町へ続く道に太陽が恥ずかしそうに昇ろうとしている。
 今まではずっとひとりで太陽とこの道を通ってルーレンの町へ出かけていたけれど、これからはふたりで歩いていこう。

 (……ふたりなら夜の暗い道も怖くないわ)
 そう呟くわたしの顔は太陽を正面から見据えていた。

――いつも光に満ちあふれた朝は、その日から少しずつ別の光へと浄化されていく。



――Fin――