ゆめみのとう




 ゆめみのとうを作る。
 それが二人の約束だった。



 ゆめと喜一郎が出会ったのは、こばと公園だった。
 その日はどちらかと言えば、喜一郎にとってついていない日だった。
 喜一郎は仕事終わりにビルの前で、煙草をふかしていた。お抱え運転手の平井が来るのが遅れた。喜一郎は苛々して待つ間に仕事をする気にもなれなかった。母親との食事会。面倒くさいことこの上もない場所に行くのが遅れる。食事での会話はほとんどが小言で終わってくれそうだ。
 ・・・むしゃくしゃして、胸やけがする。
 自分のものとなったビルの傍の植え込みで座っていると、ただの社員になった気がした。喜一郎は長い息と共に煙を噴出した。
 ひとりの女の子が歩いているのが、目に入った。いかにも優しげな母親に手を引かれ、ツインテールが楽しげに揺れている。道路の反対側にいる男の子に手を振っている。それに応えるこちらの子供も、反対側の手を母親とつないでいた。
(俺にも、あんな年頃があったのかね・・・)
 物思いにふけり始めた喜一郎は、しかし目を細めて現実へとかえってきた。母親と去る子供達と入れ替わりに、少女がひとり、公園へ入ってゆくのが見えたのだ。夏に入りかけの、太陽の出る時間が長い日ではあったが、この時間から公園へひとりで?
 なんとなく興味を引かれ、気がつけば、喜一郎はビルの前の道を渡っていた。
 子どもはひとりで砂場に山を作っていた。
「おい、お前、ひとりか?」
 喜一郎が目の前へ行って声をかけると、子どもが顔を上げた。
「わたし?」
「ほかに誰がいんだよ」
 思わず素で話してしまう。こんな横暴な話し方をしているのを見られたら、犯罪者扱いされちまうな、と思った。けれど忘れてしまった幼い瞳の輝きの前に、嘘で飾られた自分でいることのへの執着がうせた。
「わたし、ゆめ。おい、なんて変な名前じゃないよ」
「そーか」(・・・子どもってこんなだったか?)喜一郎は思いながら、女の子の手元を覗き込んだ。「そんで、そのゆめは何してんの?」
「『とう』をつくってるの」
「とう?・・・って、あの背の高い塔か?」
「そう。ほかにどんな『とう』があるの?」
「・・・・・・・・・はあ」
 喜一郎はしゃがんで彼女の手元を見ていた。小さな手が無心に砂をかき集め、山の上へ運んでいく。ゆめ、という女の子は砂場道具すら持っていなかった。
 なんとなく、手を出してはいけないような気がして、喜一郎は一段高くなった砂場の淵に腰掛けた。
「お父さんとお母さん・・・」
「ああ?」
 平井、それにしても遅いよな、と考えて始めていたところだったので、よく聞き取れず聞き返した。ゆめは勢いよく顔を上げて、喜一郎を見た。手が止まっている。小さな手に傷が入っているのに気がつかずにはいられなかった。
「ゆめの、お父さんとお母さん」
「・・・が、なんだって?」
「とどかないくらい遠くて高い空に、いるんだって」
 今時古風な。子どもでも本当の意味に気がつくとは思ったが、今それを信じて塔を作ろうとしている子どもが目の前にいる。
「・・・ふーん」
「とどくかな・・・これ」
 ゆめが呟く。その間も黙々と土を盛ってゆく。ばらばら、崩れていく砂が喜一郎のほうまでやってくる。
「・・・・・・届かないんじゃねぇ?」
 大人はこの子どもを何故一人にしておくのだろう。喜一郎はため息と共に吐き出した。このまま、ゆめが毎日毎日届かない塔を建てるのは、可愛そうだ。そう思った。
「そうかな」
「そうだろ」
「でも、わたしが頑張ってたらお父さん達、わかるって、先生いってたよ」
 手を止めてゆめが、こちらを見る。
「先生?・・・ってなんだ?」
「先生は、先生よ、どういう意味?」
「・・・学校のか?」
 ゆめはみたところ5,6歳といったところ。両親がいないのでは、幼稚園にも通っているのか微妙な線だ。
「施設の先生」
 なるほどな、とひとりごちて喜一郎は明後日のほうをみた。孤児になったゆめをひき取る親戚はいないのか、それとも「引き取れない」親戚ばかりなのか。それはわからないが、喜一郎にはもはや関係のない話になろうとしていた。車が向かいのビルの前に止まった。喜一郎の迎えの車だ。
「お前、もう帰れよ」
 喜一郎は立ち上がり、スーツの上着を羽織りながらゆめに言った。
「どうして?」
「暗くなったら危ないだろ。そうでなくても物騒な世の中なんだぜ」
 お前は知らないだろうけどな。ため息をつきながら背を向ける喜一郎に、ゆめが声をかけてきた。
「お兄ちゃんは、帰っちゃうの?」
「そうだな」
 平井が車から出てきて、喜一郎を探しにビルの中に消えていったのが見える。喜一郎は振り返ってゆめに向かった。そして唇の端をにこりとばかりに吊り上げて、言った。
「お前、俺の家に来るか?」
「え?」
「俺の家で、『夢見の塔』を作る気はないか?」

 喜一郎はゆめを引き取ることになった。
 ゆめは喜一郎の家に住むことになったのである。喜一郎は母とは別に住んでいた。部屋は充分にあったので、ゆめには一番日当たりの良い部屋に住んでもらうことにした。これはただの同居ではなかった。喜一郎は「ゆめみのとう」の建設者としてゆめを雇い、彼女に食事と塔建設道具を提供する。
 ふたりの約束はこの塔一本きりだったのだ。
「俺はゆめとは別の方法で『塔』を作る努力をしてる」
 喜一郎は言った。
「・・・・・・キーチローも『とう』がほしいの?」
 ゆめは首をかしげた。ゆめは今度はブロックで塔を建てていた。子供は単純だ。だからゆめならば作れる。届く。そういう気持ちになる。
「俺のお母さんはさ、本当の母親じゃないんだ」
「ほんとうの?」
「そう、本物はとっくにお空の上、ゆめの両親と同じところに行ってしまったわけだ」
 ゆめは真っ黒な目で喜一郎を見つめた。喜一郎はかがんでブロックの一つをつまみあげた。喜一郎の会社は大手の子供向けの事業を抱える企業で、おもちゃはいくらでも手に入った。ゆめがさびしくないように、色とりどりのくまのヌイグルミも簡単に手配できた。
 大量消費の産物も、子供の前では宝物に変わる。
 喜一郎はそっと笑った。
「いまの、おかあさんは?」
「あれは新しいお母さん。父さんが別の女と結婚してたってわけ」
 ゆめが全部を簡単に理解できるとは思っていなかったが、ゆめはわかったらしく、うん、と頷いた。
「でさ、親父がまたでっかい会社もっててさ。俺はそこの社長さん」
「うん」
「だけど、・・・その親父もいなくなって」
「お空に行ったの?」
「・・・・・・たぶんな。だからさ、二人がどうしてんのか、幸せなのか、息子としては気になるって所かな」
 半分嘘で、半分本当だった。口が勝手にいらないことまで話してしまう。
「そっか。じゃあ、ゆめも頑張るね」
 ゆめが、素直に頷いた。
(ああ、そうか・・・)喜一郎は再び動き出したゆめの手元を覗き込みながら、思った。(素直な反応だから、こっちも飾りたくなくなるんだろうな)
 喜一郎の『ゆめみのとう』は、ただ、あの馬鹿でかいビルの上にふんぞり返って、書類にサインをし、考え、社員を動かすことだけだった。そんな作り方があるか。思いながらも、もし父と母にすこしでも安堵して欲しいなら、そうして嘘を突き通すしかないと思うのだ。
 自分は、手のかかる子供だっただろうか。ゆめを見るとそう思う。ゆめは、手のかからない子供だった。

 帰宅したのは夜中の12時。とっくに眠っているであろうゆめを気遣って静かに自室に入った。早めに残りの仕事を片して眠りたい。パソコンの前で、なんとなくうとうとし始めてすぐだった。誰かが部屋に入ってきている気配で、目を覚ました。
「坊ちゃん」
「・・・その呼び方はやめろと言わなかったか」
 喜一郎は頬杖の体制から、体を起こした。家政婦の駒子(運転手の平井の妻である)だ。今日は喜一郎の帰りが遅くなるので、泊り込んでゆめの様子を見てもらっていた。
「どうかしたのか」
「ゆめお嬢さんが、泣いていらっしゃって。どうしても喜一郎様にお会いしたいと」
・・・ゆめが? その言葉を聞いて、ゆめの部屋まで、慌てて駆けつけた。
 ゆめは月明かりの中で、寝台に座っていた。
「ゆめ?」
「キーチロー・・・」
 ゆめはあまり手のかからない子供で、泣くことは珍しかった。さすがに引き取ったはじめのころは、そうもいかなかった。寝付けないゆめと何度か一緒に眠ったこともあったが、新しい暮らしに慣れてくるとそれも減り、今では夜泣きなどすることはなかった。
 なんとなくゆめが大変に暴れているのかと、(そんな様子が想像できるわけではないが)思っていた喜一郎はほっとして、寝台に手を置いた。
「ゆめ、もう泣いてないのか?」
「うん」
「ゆめ、何かあったのか?」
 喜一郎は自分の声に驚いた。心配そうな響きを帯びている。こんな声、俺は出せたのか。
「キーチロー・・・」ゆめはそっとベッドサイドの引き出しをあけて、棒の突いた飴をひとつ取り出した。「これ、あげる」
「は?」
 脈絡のない言動に、思考が停止する喜一郎に、ゆめは涙の残る瞳で笑った。
「キーチロー、きてくれて嬉しいから、お礼」
 喜一郎も微笑んだ。ふわふわの掛け布団に手をついて、体を持ち上げ、ゆめをだきしめるように抱えた。寝台がギシリ、とゆめのかわりに鳴く。
「そーか・・・でも、お礼のほうが多いから、今日はゆめの言うこと聞かなきゃ割りに合わないな。何でも良いから言ってみな」
 ゆめの言葉に対して、喜一郎は夢のない答えをしすぎたかな、と思った。
 ゆめもそう思ったらしく、笑う。
「さすがキーチローはキギョーセンシ、だね」
「おいおい、どこで覚えた。そんな言葉」
「ひらいさんだよ」
 妻のほうか、秘書も兼ねさせた夫のほうか。余計な入れ知恵を。
「ゆめ、なにかあったのか?」
 もう一度聞く。ゆめは曖昧に首をかしげた。
「・・・わすれちゃった」
 そんなものなのだろうか。小さな頃、悪夢を見たときの内容はよく覚えていた・・・と思い、思い出そうとしたが欠片も記憶が出てこない。
 意外とそういうものなのだろう。なんとなく、怖ろしかった。なんとなく、寂しかった。なんとなく、ひと恋しかった。
「今日は一緒に寝てやろうか」
「じゃあ、キーチローは、ココね」
 ゆめは自分の膝をぽん、と叩いた。
「ああ?」
「いいから、いいから」
 遅くまで仕事をしていて疲れていたのかもしれない。反抗する気もおこさず、ゆっくりと頭をゆめのほうに預けた。
飴の包みを開けて口に運ぶ。ガリ、と噛みながら、ゆめに体重をあずけた。月明かりが優しく瞼を刺す。
「重くないか」
「へーき」
 殺伐とした、夢見の塔をつくる作業の心労が、消えてゆくような気がした。
「キーチロー?」
「うん?」
「お願い聞いてくれるんでしょ?」
「飴と引き換えのやつな」
 その願いと引き換えに手に入れた飴は、喜一郎の歯の間でイチゴの味に溶け出していた。目を細めてゆめの髪に手を伸ばした。
「キーチローはなんでもいいよっていったよね」
「んー・・・、そうだっけ」
 ぼんやりと、ゆめの髪を持ち上げて弄んだ。淡い黒がふわりと反射する。
 ゆめがすぐに何か言ってくるかと思ったが、黙っている。この沈黙はなんだろう。けれど決して不快ではない。ゆめの体温が感じられるのが心地よいぐらいだ。泣いているゆめを慰めようと思っていたのに、いつの間にか立場が逆転している。
 喜一郎は飴をガリガリ噛みながら自分を嘲笑する。(ずいぶんと感傷的だな・・・)

「ゆめ、さんぽ、行きたいな」

「・・・そんなことでいいのか?」
「うん。どうしても行きたいの。キーチローと」
 何故そんなことを言い始めたのか、考えてみればよかった。この一ヶ月、ゆめは夢見の塔をひとりで作っていたのだから。けれどこのとき、喜一郎はこの穏やかな時間の中に、波風の気配など感じてはいなかった。
「どこまで行きますか、お嬢さん?」
「こばと公園だよ」
「ゆめと初めて会った、あそこか」
 ゆめはにこっと笑った。嬉しそうに手を合わせ、覗き込んでくる。
「覚えてるんだ!キーチロー」
「当たり前だろ?」喜一郎も微笑んで腕を伸ばし、ゆめの髪をなでた。喜一郎の大人の手にかかれば、ゆめの頭など片手で包み込むことが出来そうだった。「じゃあ、時間が出来たら、一緒に行こうな」

 喜一郎に約束を守る気はあった。暇は簡単にはつくれそうになかった。休みの日など、この数ヶ月、とれたためしがなかったし、日はどんどんと短くなってきていて、夕方にも出かけるのは難しかった。しかし、ゆめの願いはなんとしてでも、かなえてやるつもりだった。取引も、成立していたわけだし。
 だから、そんな中、ゆめが家出をした、そう聞いても、すぐに「こばと公園」に迎えに行くことができたのだ。
 もちろん、聞いた時は焦った。約束をした夜、ゆめが泣いていると聞いたときよりも、だ。仕事もなにも、全部放り出してエレベーターに飛び乗り、道を渡ってこばと公園に走りこんだ。喜一郎が息を切らせながら、切り込んでいった夕闇のその先に、ゆめがいた。
ゆめは、砂場で塔を作っていた。
 いまなら、それがただの砂山ではないことがわかる。
 ひとり、塔を作るゆめが可愛そうだ、なんて場違いな感想を抱くこともなかった。
「・・・ゆめ」
「キーチロー・・・ゆめ、頑張ってるんだ」
「・・・」
 喜一郎は黙って聞くしかなかった。次第に濃くなってゆく闇の中で、ゆめの小さな指だけが、白く光っているような錯覚に陥る。それが塔を作るために動くのをじっと眺めていた。
 街灯がついた。喜一郎の背後で人口の青白い灯りが、手を広げる。
「だけど、追いつかないね。」初めて会ったときのように目が会う。喜一郎は砂場の淵に腰を下ろした。ゆめの目を見つめ、頷く。「お母さん達、まえより遠くに行った気がするの」
「新しい記憶が、生活が続くたびに、昔のことがその下に埋もれていくんだ」喜一郎は、ため息をつくようにして、頭を抱えた。「そんな気がして、遠くなる気がして」
 ゆめが喜一郎の背中に手をあてる。ふっ、と小さく息を漏らすようなおとがして、ゆめは喜一郎の背中で泣いていた。ゆめが泣いているはずなのに、喜一郎は、慰められているような気がしてならなかった。
「キーチローも、どんどん遠くなっていくんだよ・・・」
「ごめん、ゆめ、ごめん」
 父と、母と・・・家族を失ってから初めて流した涙かもしれない。一番星の明かりが、喜一郎の頬を濡らしていった。
 ゆめは、あたらしい家族は、裏切らないように、したい、と思った。
 喜一郎の涙は、闇に溶けていった。
 結局はどうにもならない話なのかもしれない。夢見の塔が完成するまでは。
しかし沈黙をやぶったのはゆめだった。
「キーチロー・・・、ゆめ、知ってるよ」
「何を?」
 涙が止まらず、しゃくりあげるゆめが、ぽつんと言った。喜一郎は、うっすら浮かんでいた涙を散らすように瞬きして、問い返した。
「ゆめみのとう、届かないんでしょ?お母さん達のところへ」
「・・・・・・ゆめ、なんで知ってんだ?」
「・・・あ、やっぱりそうなんだ」
「おい、お前・・・・・・」
 数多の一流企業を率いて、駆け引きを得意とする喜一郎に、カマをかけて成功するのはゆめくらいのものだろう。ゆめは涙混じりにくすりと笑った。
「なんとなくね、前からわかってたよ」
「・・・てことは、何か」
 結局、夢見の塔にの理想に、ゆめに甘えていたのは俺だったってわけか。
 喜一郎は苦笑した。
「?」ゆめが首を傾げる。「なにか言った?」
「・・・いや、別に」
 まあ、それもそんなに悪くないか。呟いた言葉は、黒く染まった空に吸い込まれていった。
「家、帰るか?」
「うん」
 ゆめが背中から離れた気配がする。まだ寒くはないのに、ひやりとした風がそこに触れてゆく。
「あの俺の」と、ここでゆめの目の輝きを見て、言いなおす。「・・・俺たちの家で良いのか?」
「うん、私達の家がいいの」
「そっか」
 ゆめは涙を拭きながらにっこり笑った。喜一郎も微笑み返す。
あの夜に交わされた笑みとは違う、全然違う笑みだった。星が瞬いているのも、月が優しく影をつくるのも、どこか知らないところで暖かな家が存在しているであろう事実も、世界全体は大して変わっていないと言うのに。そして、夢見の塔だって、いまだ目にしたことなんてないのに。
差し出された手を、何のためらいもなく包み込むように握る。繋いだところから、新しい何かが芽生えてゆくのを感じた。

「一緒に、帰ろう?」

 帰って平井夫妻(妻はゆめをほったらかしにしたこと、夫は仕事をほったらかしたことにさぞご立腹であろう)に謝るのが一番骨が折れるだろうな、と思ったのは、まあ別の話として、END。



Copyright (C) Pingpongdash Sakekawa All Rights Reserved.


あとがき*********************************
鮭川さんのすてきな(そしてど真ん中ストライク!!な)イラストを拝見して、妄想したお話です。
鮭川さんは現在、漫画家和戸村さんとしてご活躍なさっています。
カゲもバリバリ応援中!な和戸村さんのブログはこちらから。素敵イラストが拝めます。
和戸村さん、そしてご覧になってくださった皆さまに、多謝^^
カゲ
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