ソライロノメ




 アカリの目の前には、ゆらゆらと波が広がっていた。波が動いているのではない。空気がうごめき、揺れているのだった。ゆらめき、ひかる。この何千年も、波は風に舞い上げられ、文様を刻んできていた。芸術的までなそのなかを、アカリは歩く。さく、さく、と崩れていく模様の上に小さな足跡がついてゆく。
 アカリは16歳になったばかりだった。村長の娘として大事に育てられ、村一番の器量よしと評判だった。成人の儀をおえたのはたった5日前。儀は、生まれたときから決められた婚約者のレイとの婚儀とともに行われた。それが村の風習で、女子は生まれたときに、年上の男子との婚姻を結ばれる。そして女性の16歳の成人の儀において夫婦となるのであった。レイはもう20歳で既に成人していた。
 レイは遠くからきた親子のつれていた子供で、早くに両親をなくしていた。アカリたちのように焼けた肌は持たず、砂と同じ細やかな髪と空色の瞳をしていた。本来なら、外部の子供など残してと、彼の両親は咎められるところであった。だが、レイの姿は神前にささげられる腕輪に描かれた人物にそっくりだった。そこで、一も二もなく生まれたばかりのアカリの婚約者とされたのだ。もっと腕輪の姿に似せるため、彼は長く伸ばした髪を後ろで一つに結んでいた。アカリは、髪留めの金細工に「ルビーの見張り」というあだ名をつけていた。
 アカリはレイがとても好きだった。つまらない世界の中で初めて興味を引かれたのは、レイのソライロの瞳だった。幼い頃から、ずっとレイを慕っていたのだ。真面目で頭が良く、アカリを唯一対等に扱ってくれる、頼れる存在。砂に囲まれた厳しい生活の中、支えだったレイ。だから、彼と婚約者であるとわかったとき、涙を流して喜んだ。レイはそんなアカリの涙を、ときに力強く、ときに優しい指で、柔らかにぬぐってくれた。思い出す彼の笑顔は、色と言う光に彩られていた。
「アカリ、なかないで」
 耳の中で、ひゅうひゅうと風がなった。頬をかすめてゆく砂が、レイの声のように聞こえる。アカリはそのまま砂の中に倒れた。仰向けに、太陽の光を受ける。
 頭を保護するはず布が、さらりと砂漠の上に広がった。アカリの頬を乾いた涙がつたう。
 空色が、眼前に広がっているはずだった。アカリの瞳に映ることは決してないのに、そこに存在するものたち。長い睫が震えた。眩しい、そんな事はわかるのに。
 見上げるそこから、雨が降ることは滅多になかった。少ない恵みを大切に、アカリたちは生きてきた。何代も、何代もそうして。この美しい影を描く丘の模様と同じだ。
 父は言った。「おまえの運命は、そのままお前のものだ」
 母は言った。「それでもいい嫁にはなれる」
 弟は、何も言わなかった。
 レイは言った。「アカリ、なかないで」
 ゆるやかに目をあける。出来るだけ時間をかけて立ち上がって、よろよろと歩き始めた。意識はあまり無かった。また、模様を壊していく。そうして新しい芸術に仕上げる。それがアカリの存在の証だ。アカリがまだ光を見ている証拠。
 結婚した後も、毎日はゆるやかにすぎてゆく。悲しみなんて似合わないかというように。けれど、まだそれを感じるほどに、アカリは立ち直れなかった。元気なフリはしたくない。アカリの表情は沈みがちだった。
「アカリ」
 呼んでくれるレイの声に目覚めて、日が昇る。祈りをして、朝の食事を得て、ただひたすらに働く。家の仕事、レイの補佐、ラクダの世話、機織。
「レイ、今回の刺繍の出来がとてもいいの。いい値で買い取ってくれそうな人はいるかしら」
 なんでもない会話をかわして、家族と語らう。夜の食事をとったあとは、祈りをして、また眠りにつく。
 月は最近、こうこうと輝いているのだった。夕闇の中でレイの囁く声を聴いた。手を伸ばしても、何もつかめなかった。
「目が痛むの?」
 痛くは無かった。
 砂漠をこうして歩くと、何も感じなくなってくる。失ったとき感じたものは、その感覚に似ていた。目を閉じると何でも想像できた。
 賑やかな人通りの多い遠くの街。最近流行の鉄の輪を繋ぐ遊びの音。包み込むように優しい、肌を刺す水の冷たさ。背中に当たるテントの布のザラザラした感触、指に触れる絨毯の毛の長さ。永遠に続く砂丘たち。
 たわいの無いこと全てに、自分の存在を証明して欲しいと、アカリは泣いた。足跡をつけながら、歩き続けた。サクサク、サク、サク、サクサク・・・
 ふと、顔を上げた。別の足音を聞いたような気分になったのだ。ラクダと男の歩幅。ザクザク、今度は大きな足音と、丸い蹄が模様の上に押されていく。
 駆け出した。乱暴に砂飛沫あげ、アカリは駆け出した。二人のいつもの待ち合わせ場所へ、村はずれの、オアシスへ。
 髪がなびいた。残してきた頭の布を無視して走るアカリを、追い越してゆく風。それに涙の破片が散った。こうして全て機能しているのに、なんで、なんで。どうして一番大切なものをうつしてくれないのか、アカリは初めはそう思った。
 もちろん、何も言わずにここまで歩いてきた。だから迎えに来てくれると知っていた。思わせぶりな態度をとるのだけは否だと思っていた。
 アカリは走って、走って、そこにいる男に飛びついた。腕を広げて受け止めてくれる。

 儀のわずか一日前、アカリの世界から色と言う色が、消えたのだった。

「アカリ」
 輝く砂の海の上に立つのは、ソライロノメをしているレイだ。

「帰ろう」



End.



あとがき*********************************
今回は、恋愛色がつよいので・・・
恥ずかしいので・・・
なにもコメントはありません。
読んでくださってありがとうございます。お疲れ様です
カゲ
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